唯ぼんやりとした不安
芥川龍之介が自殺前の遺書に『将来に対する唯ぼんやりとした不安』という言葉を残してるんですが、今なら分かるよ龍之介。
なんかあれだよね、無性にイライラするしでも当り散らして発散できるものでもないし生理前とか更年期とかこんな感じなんだよね、きっと。って励ましてあげたいあみです。
前置きが長い。
『ぼんやりとした不安』って皆覚えがあると思うんです。
私は良き隣人、パートナーぐらいの身近な存在です。幼稚園の頃には奴さんと手を繋いでた感じ。
『不安』ってどこからくるんでしょう??
子供の頃誰しも聞かれた『将来何になりたいー??』という悪意のない質問。
あそこから全ては始まっていたのです。
※憶測です。
『何になりたい』はいつしか『何かにならなければいけない』という強迫観念にすり替わっていくんだと思うんです。
大人になるまでに、嫌でも自分の部を知る。
出来ること、出来ないこと、得意なこと、頑張ってもちっとも身にならないこと etc…
でも何かにならないといけないから、出来ないは許されないから頑張っちゃうんです。
もう頑張りたくない!
私には無理よ…先に行ってくれ…
そして私の存在は忘れてくれ
芥川龍之介も自殺直前には、自分の家族はもちろん、養父母や姉の家族を養わなくてはならず限界まで頑張っていました。
数にすると12人。
一人で抱え込める人数を超えています。
何になりたいじゃなくて、気づいたら何かになってたぐらい肩の力を抜いて無責任に生きられたら血反吐も悪態も吐かずに生きられると信じたい。
それぐらいの希望は持ってもいい気がします。
なにせ目標無責任なので。
責任とるところと、放り投げるところの塩梅が大切なんですかね?
料理と一緒。
知らんけど。